このページを読めば、あなたも、かみはら博士になれる???(笑)

■■■ 上原(かみはら)という地名について ■■■

上原って、どうして『かみはら』っていうんでしょうか? 地名の由来を探りたくなりました。
手始めに、上原(かみはら)という地名を、現在の地図(県別マップル21 岐阜県道路地図 2015年4版1刷/昭文社)で探してみました。
『上原小』『上原会館前(バス停)』『上原口(バス停)』・・・こんなところでしょうか? 地名としては存在していません。
次に、国土地理院の2万5千分の1の地図(平成20年7月1日発行1刷/小和知(NI53-1-10-4))で探してみましたが、どうやら一つも見当たりません。
現在、地名としては存在しないことが分かります。それでも、地元の人たちはもちろん、下呂市のほかの地区の人も、上原という地名をよく知っています。

これはどういうことでしょうか???

現在、下呂市の東部から南部にかけての地域に、北から順に、竹原地区・上原地区・中原地区・下原地区と呼ばれる地域があります。
このうち、上原地区は、現在の住所で言う、下呂市『夏焼』『田口』『蛇之尾』『門和佐』の4エリアを指します。
なお、下呂市『久野川』は、上原地区に含まれていた時期もありますが、昭和32年から中原地区に入っています。

次に、下呂市のふるさと歴史記念館(下呂市森1808-37)を訪れてみました。すると、興味深い資料がいくつかありました。
そのうちの、いくつかを紹介します(紹介する資料は、転載許可済みです)。

_dsc5844_01  _dsc5848_01_dsc5841_01
これらの資料から、江戸時代の終わりごろには、『夏焼村』『田口村』『蛇之尾村』『門和佐村』『久野川村』が存在していたことが分かりますね。これらの村は、『下原郷』の一部だったこともわかります。下原郷は、現在の上原地区、中原地区、下原地区を含む、かなり広い区分だったのですね。

なお、平安時代中期には、『秋秀郷』(今の下呂、竹原、上原、中原、下原あたりらしい)、慶長ごろ(安土桃山~江戸時代)には、『麻生郷』(今の上原、中原、下原あたり)、そして、江戸時代の元禄ごろには『下原郷』(今の上原、中原、下原あたり)、と呼ばれていたようです。

明治8年(1875年)に『下原郷』のすべての村が合併して『下原村』に。そして、明治16年(1883年)に、『上原村』『中原村』『下原村』へと分村しています。行政区分として、初めて『かみはら』が使われたのは、この時が初めてなのかもしれません。なお、この時の上原村には、現在は中原に含まれている『久野川』が含まれていました。

昭和30年(1955年)には、上原村は、他の地区と合併して益田郡下呂町になります。昭和32年(1957年)に、上原地区から久野川が抜けて、現在の上原地区が出来上がりました。
そして、平成16年(2004年)には、さらにほかの地区と合併して下呂市に生まれ変わっています。それでも、地区としての『上原(かみはら)』は残りました。

これで、上原という地名の変遷が、少し見えてきました。
では、上原、という地名は、明治16年に初めて使われ始めたのでしょうか?それとも、もっと前から使われていたのでしょうか?

『飛騨歴史散歩』(加藤● 著 ●=草かんむりに、恵 /昭和52.11.1.発行/創元社) 36ページには、次のような記述があります。

・・・当時の官道は大船渡で美濃より飛騨に入った。そして下津原、中津原、上津原(いまの下原、中原、上原)を経て、竹原(下呂)に出た。・・・・

ここでいう、官道とは、東山道飛騨支路のことのようです。上原地区では、久野川峠から、下夏焼に入り、竹原峠へ抜けています。
下の資料では、青い点線で示されています(この資料も、下呂市のふるさと歴史記念館から、許可を得て転載しています)。

_dsc5857_01
この記述から、昔、上津原(かみつはら)という地名があったようで、それが、上原につながった可能性を示唆しています。ただ、中津原という地名が、現在も使われていますが、中原ではなく、下原地区にあります。また、下原野という地名が下原地区にあります。この辺りは、少し矛盾するような気がします。

そこで、さらに、文献をあたってみました。すると、『大日本地理体系』第十巻(1914-17出版)に、『斐太後風土記』が収録されており、p247に、

・・・上ツ原(=カツハラ 今は門原という)、中ツ原(今も使っている 中津原)、下ツ原(今は下原町)・・・   <注:少し現代語を入れています>

という記述を見つけました。そのすぐ後に、今の、保井戸、瀬戸、三ツ淵、門原を併せて、上ツ原(カツハラ)と呼んだ、との記述があります。上ツ原(カツハラ)が、門原に変化したとの記述もあるため、残念ながら、『飛騨歴史散歩』の記述(上津原→上原)は、正しくないようです。

いずれにせよ、昔の地名の名残が、現在にそのまま引き継がれているのです。地元はもちろんですが、下呂市のほかの地区の人たちにとっても、上原(かみはら)、という名前は、今でも非常になじみ深い地名なのです。そのため、上原小学校や、上原郵便局などの、地域にとって重要な施設の名前として、今でも使われています。

■■■ 上原は、和川と門和佐に分かれます ■■■

現在の上原地区は、輪川水系で北側に位置する和川地区と、門和佐水系で南側に位置する門和佐地区からなります。(昔、上原村だった久野川地区は、中原に変更されました。)
和川地区は、輪川の下流から上流へ、下夏焼・中組(有里・西洞)・中切・田口・蛇之尾・大鹿野 の、6つの町内会からなります。
門和佐地区は、門和佐川の上流から下流へ、東部・昭和・中村・大野・中央(芋沢上=いもぞうり)・西部(川渡=かわど+新田=しんでん) の、6つの町内会からなります。

『和川』は、もともと、この地区を流れる『輪川』から来ているようですが、確証はありません。輪川の当て字で、和川を使い、それが、村の名前(和川村)として使われたのでしょう。それが、夏焼村、田口村、蛇之尾村に分かれたようです。

『門和佐』は、門和佐川の下流に、『和佐』という地名があるので、和佐の上流地域、という意味があるようです。『大日本地理体系』第十巻(1914-17出版)収録、『斐太後風土記』には、『上津和佐(カミヅワサ)』『加美豆和佐(カミヅワサ)』『加豆和佐(カヅワサ)』という記述がみられます。かみづわさ→かづわさ→かどわさ と、変化していったのではないでしょうか?
これは、前に書いた、上津原(カミヅハラ)が、門原(カドハラ)に変わったのと同じ変化ですね。

■■■ 夏焼 ■■■

夏焼という地名は、全国各地に存在します。読み方は、なつやけ・なつやき、の、2種類に分かれているようです。主に、山間地に見られる地名で、夏期に山を焼いて、焼き畑を行っていた名残だと思われます。

■■■ 鳥屋ケ野 ■■■

下夏焼の北側に、鳥屋ケ野という集落があります。現在、地元では、とやがね、と呼んでいる方が多いのですが、この読み方、漢字を見ると、おかしいですよね???(笑) 昔は、とやがの、と読んでいたのが、読みにくいので、少しずつとやがねに変化していったと思われます。その証拠に、『下呂町上原誌』(昭和47年11月3日発行)には、とやがの、と記述されている箇所がいくつか存在します(たとえば、p77)。なお、鳥矢ケ野と書かれている文献もあります。

■■■ 芋沢上 ■■■

同じパターンに、門和佐地区の、芋沢上、があります。これ、地元では、いもぞうり、と読んでいますが・・・???? 沢上という地名は、中部地方の山間部に見られる地名です。読み方は、それ・ぞれ・そうれ・ぞうれ など。もともと、崩=ぞれ で、山が崩れた場所、を意味するそうです。そういった場所の多くが、焼き畑に利用できる場所でもあったので、焼き畑の意味にも使われるようにもなったそうです。となると、芋沢上は、もともと、いもぞうれ と、読んでいたはずで、それが、時代を経て、いもぞうり、に変化したものと思われます。その証拠に、『下呂町上原誌』(昭和47年11月3日発行)には、いもぞうれ、と記述されている箇所がいくつか存在します(たとえば、p76)。

 

■■■ 下呂町上原誌 ■■■

※『下呂町上原誌』(昭和47年11月3日発行)は、上原の歴史を知るうえで、非常に重要な書籍です。昔から上原にある家では、ほとんどこの本を持っているようですね。なお、下呂市図書館や、下呂市役所にも備え付けてあります。ところが、この本より古いと思われる、『上原村地理歴史』という本があるようなのですが、どこにも見当たりません。下呂町上原誌よりも、もう少し古い本のようなので、貴重だと思うのですが・・・??? どなたか、ご存じありませんか??? この本の存在は、うわさで聞いていたのですが、『下呂町の文化財2004』(平成16年2月13日/下呂町教育委員会発行)、63ページ、田口喜三郎翁の碑と報徳碑、の説明書きに、この本の引用があるので、存在したのは間違いないのですが・・・
情報モトム!!!

■ 参考文献 ■

『下呂町上原誌』(昭和47年11月3日発行) 下呂図書館・下呂市役所などにあり 上原に古くからある家なら、持っている可能性大
『下呂町の文化財2004』(平成16年2月13日/下呂町教育委員会発行) 下呂図書館などにあり 下呂市の『ふるさと歴史記念館』で販売中 この本は、改定されていて、3代目
『飛騨下呂』(図録・史料1・史料2・通史民俗の4冊組) 下呂図書館・下呂市役所などにあり
『斐太後風土記』(上巻・下巻2冊組 大正4~5年発行 富田礼彦著 住伊書院) 国立国会図書館デジタルコレクションで、閲覧可能
『飛州志』(明治42・44年発行 長谷川忠崇著 岡村利平編 住伊書院)国立国会図書館デジタルコレクションで、閲覧可能
『岐阜県益田郡史』(大正5年発行 益田郡)国立国会図書館デジタルコレクションで、閲覧可能